2014年9月29日月曜日

なぜイエスマンが出世してしまうのか?その2





少しあいだがあいてしまいましたが、前々号から文書化コンサルタントの開米さんと「なぜイエスマンが出世してしまうのか?」という話をしています。今回はその続きを。

開米:今までの庄司さんのお話をちょっと整理してみましょう。まず、会社組織を動かす仕事は大まかに「企画」「遂行」「管理」に分けられますよね。たとえば「新しいコンセプトの商品を作ろう」という最初のアイデアを出すのが「企画」、それを具体的な細かいワークに分解して設計や製造の実務をするのが「遂行」、その遂行をコントロールするのが「管理」です。

庄司:そうですね。

開米:で、会社が小さい段階では、社長が企画を担っているケースがよくあるじゃないですか。単純化するとこんなイメージですが・・・

イエスマン1.png

庄司:社長の指示を現場スタッフに遂行させるのが管理職の仕事、という面はどうしてもありますよね。そればっかりではないにしても・・・

開米:そう考えると、この段階で「管理職」に求められる役割は「社長に対するイエスマン、現場に対するノーマン」という面がないですか?

庄司:現場に対するノーマンってどういうことです?

開米:現場に対して「ノー」と言うこと。要は現場の反対を押さえること。新しいことをやろうとすると「そんなの無理です、できません」とか「やっても無駄です」と言う人ってどっかに出てくるじゃないですか。

庄司:ああ、ありますねそれは。

開米:そこで現場と一緒になって、「社長、それは無理です」なんて言い出すようじゃ、管理職として無能ですよね。

庄司:ああ、そうそう。それやっちゃうと成長止まりますからね。中にはダメな指示もあるでしょうけど、
とにかくやってみてその結果をもって次の手を打つ姿勢が大事なんですよ。

現場が抵抗勢力になっちゃうのを押さえる意味での「現場に対するノーマン」ですね。社長が無能だったらどのみち会社は潰れるので、社長の指示と現場の抵抗とどっちを優先すべきかと言ったら、原則的には社長の指示のほう。そうすると必然的に社長にたいするイエスマン、現場に対するノーマンになりますね。

開米:そう、ところが会社が成長して社長が本格的に現場から離れると、企画の仕事もかなりの割合が現場のほうに移ってくるじゃないですか。社長からは細かい指示が出なくなり、現場リーダーが企画を立てて提案をしてくるようになる、そんな段階になってまでその上の役職者が「現場に対するノーマン」じゃあ困りますよね。


イエスマン2.png


庄司:そうそう、まさにこういう状況ですよ。こうなると現場が変わろうとしてるのに管理職が抵抗勢力になっちゃうんですよね。

開米:で、こういう人が不思議なほど多い・・・と?

庄司:そうなんです。私が縁のある大企業の役員とかそれに近いクラスにはビックリするぐらい多い印象です。

開米:ただ、「イエスマン」って普通はあまり良いイメージでは使われませんけど、こう考えると馬鹿にしちゃいけないと思いますね。
社長に対するイエスマンという役割が求められる時期もあるってことじゃないですか。

庄司:そうですね、時と場合によるんですよ。「社長に対するイエスマン、現場に対するノーマン」の感覚をずっと引きずられちゃ困るというだけで。それが必要な時期もあるので、全否定すべきではないと思います。

開米:ありがとうございます。ところで、それじゃ、その「ずっと引きずられちゃ困る」という、社長に対するイエスマン、現場に対するノーマンの感覚を引きずったまま役職を得ちゃって、「あいつ使えねえ」と言われて抵抗勢力化しているような、そんな人って何とかなるものなんでしょうか。変身できた事例ってありますか?

庄司:それはですね・・・


(長くなりましたので続きは次号で)

2014年9月25日木曜日

超私的旅行記「なぜか上海」


ちょっと遅めの夏休みをとって上海に行ってきました。

50歳を過ぎてから、中学高校時代の仲間たちと毎年夏に「アホのおっさん旅行」を開催しているのですが、メンバーのひとりがなんと上海に転勤になったため「じゃあみんなで行っちまえ」ということになったのです。

自慢じゃあありませんが飛行機ぎらいのわたしは10数年前にハワイに行ったきり海外には行っていません。

ましてや中国に行こうなんてこれまで一度も思ったことはありませんでした。

今回は、そんな海外ドシロウトのわたしがはじめての中国で見て感じたことを書いてみようと思います。 
超私的旅行記 「なぜか上海」

成田から飛行機で約2時間40分、そのうちの半分以上は日本上空を飛び九州を超えて海の上に出たら間もなく中国大陸だ。案外近い。

中国に近づくと気のせいか、なんだか雲が黄色いような・・・ 黄砂なのか?まさかPMなんちゃらのせいか?

と、思う間もなく今度は海が見えてきた。
はじめて見る中国の海は・・・ ちゃ、茶色い!
なんだこの汚い海は、こりゃあ釣りなんか絶対できない、きっとナマズしかいないにちがいない。

とかなんとか初心者丸出しで騒いでいるうちに上海浦東空港に到着。
ついにきてしまった中国。
だだっ広い・・・はてしなくだだっ広い、そしてなんだかほこりっぽい それが最初の印象だ。

友人が中国人運転手つきの車で迎えに来てくれた。

はじめは運転手つきなんてぜいたくなと思ったが、少し走るとすぐに理由がわかった。

片側5車線も6車線もある高速道路を、ものすごい数の車が走っていて次々と車線に割り込んでくる。しかも数センチ単位の幅寄せで。
ひっきりなしにクラクションが鳴っていてナンバープレートのない車まで走っている。
こんなところで日本人は絶対に運転できない!
しかし中国人運転手の孫さんはまったく意に介する様子もなく涼しげな顔で車を走らせる。
これには驚いた。いきなりのカルチャーショックだ。

一般道に降りるとさらなる衝撃が。
なんとバイクが逆走してくる。3人乗りのやつらもいる。
友人によるとミニバイクには交通ルールがなく歩行者と同じあつかいなんだそうで、道路の逆走も歩道を走るのもあたりまえ、信号なんてあってないようなもの、これがそこらじゅうを走っていてこれまたクラクションを鳴らしまくっている。
この街では外にいるあいだつねにクラクションの音が鳴っている。聞きしに勝るとはこのことだ。

なんちゅう国だと思ったが、しばらくするとあることに気がついた。
それは、日本人が鳴らすクラクションには「何やってんだ、こら!」という怒りや威嚇が入っていることが多いが、

中国人のクラクションは「わたしはそこを通るぞ」という意思表示だということだ。

友人が言うには、こちらもひるまず「おれもここを通るんだ」と強い意志を示せという。

そうか、日本の10倍以上の人間がひしめくこの国では遠慮なんかしていたらあっというまに大衆の渦の中に埋没してしまうんだ。

話すときも日本の日常会話ぐらいの音量では「ひとりごと」としか認識されないらしい。

日本人からすると、中国人は声がでかくていつも怒っているように感じてしまうのはこういうことだったんだ。

そんなふうに理解すると、なんだか街の見え方も変わってきておもしろくなってきた。

確かにあっちこっちで激しく言い争っているような光景に出くわすが、つかみ合いになるようなことはなく、おたがい激しく主張しながらじょじょに落としどころを見つけておさめていくのだそうだ。

そう考えると、表面上は「いえいえ、いいんですよ~」とか言いながら腹のなかで「まったく頭にくるぜ!」と思っているかもしれない日本人のつきあい方より、むしろ健全で清々しくさえ思えてくる。

上海の中心街に入ると、今度はものすごい数の高層ビルが出迎えてくれた。通りの看板の意味不明な中国語がいやでも異文化を感じさせてくれる。

その後、古い楼閣が立ち並ぶ豫園商城から日本の銀座のような繁華街の南京東路を巡り、定番の小籠包を食べながら青島ビールで乾杯して、これまた定番の上海雑技団を見る。
翌日は、少し足を延ばして「東洋のベニス」といわれているらしい運河の町、蘇州から4大庭園のひとつの留園を周る。
おそろしいほどの数の人と車とクラクションはどこにいっても健在だ。

昔からのアホ仲間なので、ああじゃあこうじゃあと大笑いしながらあっという間に3日間の日程が過ぎていく。もしかすると我々のほうが中国の人よりうるさかったかもしれない。

上海の街では、きれいに化粧をしてミニスカートをはいた女の子たちと、せいいっぱいおしゃれをしてかっこつけた男の子たちがそこらじゅうで恋愛を楽しんでいた。
その横を自転車の荷台になんだかよくわからん段ボールみたいな荷物を山のように積んだほとんど下着姿のおっさんがふつうに通り過ぎていくが誰も気にしていない。

きれいなショッピングセンターやレストランが立ち並ぶ通りも足元を見るとそこらじゅうにゴミとたばこの吸い殻が落ちていて、おっさん、おばはんが平気で道ばたに唾をはいている。これまた誰も気にしていない。

この物質的な文明の急速な発展と文化レベルの未熟さのギャップは、まるで昭和30年代から40年代の日本のようだ。

いっしょに行ったメンバーの中でも喫煙者の連中は、久々の路上喫煙を満喫していた。

海外事情に疎いわたしは、正直なところ、日本語が聞こえたらにらまれたりするのでは、などとあらぬ心配をしていたのだが、少なくともものすごい勢いで経済成長を続けその恩恵を享受しようと中国全土から怒涛のように人が集まってきているこの街では、日本人がどうだとか、対日感情がどうだとか、そんなちっぽけなことはどうでもいいことのように感じられた。

そして、凄まじくやかましいこの街の人たちは、なんだかとても純粋に思えた。

中国の、それも上海のほんの一部をチラッと見ただけではあるが、ちょっとだけ人生観が広がったような気がした3日間だった。
また行ってもいいな。

※「なぜ大企業ではイエスマンが出世してしまうのか?」の続きは次号からお送りします。

2014年9月1日月曜日

役職者はイエスマンのほうが会社の成長には役に立つときもある



営業コンサルタントの庄司です

前号では、文書化コンサルタントの開米さんと「なぜイエスマンが出世してしまうのか?」を考えているうちに、普通の会社にとってはイエスマンのほうが会社の成長には役に立っただろうな、ということに気がついた話を書いたところでした。

開米:イエスマンのほうが会社の成長には役に立つ、というその理由はなんですか?

庄司:会社が成長するためには、いろいろと新しいことを工夫してやっていかなきゃいけせんよね

開米:そうですね。で、現場がその工夫を提案してきたときに、社長のほうしか向いてないイエスマンだと「前例がないからダメ」とか言っちゃうという話ですよね

庄司:その話の本質は何かといえば、要は「新しい試みに対する抵抗勢力になっちゃう」ということなんです

開米:はい、それで・・・?

庄司:で、今までは現場の工夫に対して上役が抵抗勢力になるケースの話をしてましたけど、逆の場合もありますよね

開米:逆というと・・・

庄司:社長が新しいことをやろうとするのに現場が動かない。で、課長部長役員クラスが現場に肩入れして抵抗勢力になっちゃうケースです

開米:ああ、それはありますね。現場に対するイエスマンになっちゃうわけですね

庄司:そういうことです

開米:言われてみると、社員ほとんどの大反対を押し切って社長が独断で進めた構想がその後大化けした、なんて話よくありますね。今は有名な大企業になった会社の創業期とか成長期の社史にもよく見かけます

庄司:そうなんですよ。特に中小企業の場合、社長がどんどんそういう「新しい試み」の牽引役にならないと成長できませんから。そんな時期に役職者が現場と一緒に抵抗勢力になってたら無駄な時間がかかります

開米:なるほど・・・

庄司:致命傷になるような失敗でなければ多少しくじったってかまわないので、思いついたらやってみて、ダメならすぐに次の手を打つ、というスピード感が大事なわけですよ。何度も試してみれば情報も集まりますし、うまい方法が見つかるのも早くなりますからね

開米:そういう時期には、社長に対するイエスマンのほうがいい、と?

庄司:ということです。

開米:それは社長が変革の推進役として有能であることが前提ですよね?

庄司:そうですね。まあどのみち社長に能力がなかったら会社は潰れますから。社長は有能である、という前提でいいじゃないですか

開米:社長が有能だったら、役員以下の役職者はイエスマンなほうが会社は成長できるということですか、うーむぅ・・・

庄司:ただ、いつまでもそれじゃいけないんですよ。いつまでもそのままだと、現場がアイデアを出すようになってきたときに、社長のほうしか向いていないイエスマンが抵抗勢力になっちゃいますから

開米:ああ、それが今起きてる状況なんですかね? 「あいつ、使えねえ」と現場に酷評される役職者が多いというのは・・・・

庄司:ということだと思います。

開米:なるほど。じゃあ、前提条件が複雑になってきたのでちょっと整理してみましょうか。

  (長くなりましたので続きは次号で)